Theatre Mommggol【韓国】
STORE HOUSE Company【日本】
B-Floor Theatre【タイ】
『The(Un)Governed Body』
(非)支配された身体
演出:Teerawat Mulvilai
ドラマトゥルグ: Amitha Amranand
出演:Teerawat Mulvilai
Sasapin Siriwanij
Sarut Komalittipong
Surat Kaewsikram
Beer Yingsuwanchai
舞台監督:Thongchai Pimapansri
照明:Palita Sakulchavanich
音響:Kamonpat Pimsarn
(あらすじ)
ティラワットは、憑依状態に入っていく過程や二つの世界を行き来する霊媒の能力、霊媒の表現スタイルに興味がある。トランス状態の時、霊媒には意識があるのか、それとも完全に他のなにものかが憑依しているのだろうか。そして、何が、霊媒のお告げや言い回しを信者に信じ込ませているのだろうか。
(演出家ノート)
このプロジェクト『憑依: (非)支配された身体』は、2018年に着想を得て練り上げてきた。2017年から18年、タイでは、多種多様な霊―ナーガ(蛇神)、蛇、アユタヤ時代の王や王女たち、挙句の果てには日本の漫画のドラえもんに登場するジャイアンまで―が憑依した霊媒のことがニュースになった。家の下に棲みついたナーガが見えるから家を取り壊すようにと信者に言った霊媒師がいれば、位の高い霊への人身御供として娘を殺せとさえ信者に告げた霊媒もいた。これらのことすべてから、わたしは不思議に思った。どうやって、そしてどうして、人は「他のなにものか」に身体を乗っ取られるのだろうか。身体や思考は人間が「自己」を認識するために有しているものなのではないのか。それなのに、この「他のなにものか」は学習や体験という形で四六時中「自己」の中に入り込んでくる。社会において、自分より強い力の下で生き延びるために、人はカモフラージュして周囲に溶け込むことを選ぶのだ。明日のカラダになったタイという国は、霊媒かカメレオンのようなものになっているのかもしれない。
『Rubber Duck on the Road』
ドラマトゥルグ:ファン・へシン Hyeshin HWANG
出演 : ノ・ジェヒョン Jeahyun NHO
シン・ジェウク Jaewook SHIN
ナム・ジェヨン Jaeyoung NAM
プロデューサー : イム・ヒョンジン Jin YIM
シン・へウォン Hyewon SHIN
(あらすじ)
本作品は、欠落だらけの出演陣の非常に私的な物語であると同時に、1950年代にアメリカの貧民街だったブルックリンの埠頭に追いやられ、出口を探している者たちの無謀な逃走劇を描いたストーリーである。彼らは確信に満ちた「言葉」の中にあって話すすべを忘れた気の弱い臆病者で、逃げるように暮らしている小市民たちだ。本作品では、迷いに捉われ現実の中でもがいている人物たちを描くことで、殺風景な日常の繰り返しを懐かしい記憶として表現している。同時に、逃れられない嫌な現実を愉快に表現する。
(演出ノート)
『陸に上がったスワンボート』は勇敢に櫓をこぎ未知の彼方に向かっていく世間知らずの無鉄砲さであり、そんな無鉄砲な少年をハラハラしながら呼ぶ親の思いである。
『陸に上がったスワンボート』は記憶を追いかける人々のさすらい。痩せこけて骨と皮になった老いぼれ馬のロシナンテに鞭うつドンキホーテの妄想とも等しい。妄想は切実な願いの実体なのだ。
『陸に上がったスワンボート』は想いに耽る狭い空間をもつことすら許されぬ人々の漂流であり、河口の方に押し流されないようにするため櫓をこぐ人たちの脱出だ。また、スワンの首を絞めて脅し、スワンの腹を裂いて水に沈める人々の無鉄砲さでもある。
この物語は映画『ブルックリン最終出口(1989)』からインスピレーションを得た。『陸に上がったスワンボート』は最終出口を探す人々の虚しい空想だ。スワンボートに乗った彼らは移民たちであり亡命者であり、家を失くした放浪者なのだ。崖っぷちで風に翻弄されている修道僧でもあるのだろう。
ストアハウスカンパニー【日本】
『BIOGRAPHY』
作・演出:木村真悟 Shingo KIMURA
出 演:佐藤辰哉 Tatsuya SATO
森 雅恵 Masae MORI
高久瑛理子 Eriko TAKAKU
杣木百花 Momoka SOMAKI
照 明:鹿野愼二郎 Shinjiro SHIKANO
アシタのからだを考える
改めていうまでもないことだが、「未来」を考えるためには、まず「現在」を考えなくてはならない。それは、「現在」は、「過去」と「未来」を含んだ「幅」を持ち、そして、この「現在」は、その「幅」に応じた速度を持った「流れ」として「未来」へ向けて先送りされているからだ。だから「未来」を考えるためには、まずこの「現在」を見る視点が必要となる。
ここで問題が生じる。
それは、今の私にとって、「現在」が見えにくいというか、見えないことである。
具体的にいえば、それは、「現在」はすでに「未来」なのではないか、あるいは、「現在」は、すでに「過去」なのではないかといった不安が、私の「現在」の「幅」を奪い、「現在」を見る私の視点を、いつも曖昧にしてしまうからだ。
「現在」がどこにも見当たらない。
それは、ほとんど恐怖である。
だから、恐怖の原因は、近代科学文明の直進性やその不寛容さにあるのだ、と叫びたくもなる。あるいは、それは、およそ700万年に及ぶ人類の膨大な時間の流れを忘却した結果なのだといいたくもなる。それは、絶えず先送りされ、おそるおそる「現在」に取り込まれてきた「未来」が、我が物顔で「現在」を食い尽くしてしまった結果なのだと。
ともかく、原因が何であれ「現在」が見えなければ、「未来」を語ることなどできない。
しかし、そうはいっても私はまだ生きている。
生きている以上、私は「未来」のことを考えなくてはならない。
そこで、おそらく私は気づくのだ。
「現在」を奪われ、語るべき「未来」を失った私には、それでもまだ「今」が残されていることに。
私には、まだ「今」がある。
だから、「未来」ではない「未来」を語るために、まずは「今」から始めてみる。
舞台上には一組の男女。
彼らは、「アダム」と「イブ」
あるいは「ロミオ」と「ジュリエット」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
そんなことよりも、彼らの中に生まれる、「キノウ」「キョウ」「アシタ」
そこに「未来」を考えたい。
BIOGRAPHY
が、始まる所以下である。
企画・主催 (有)ストアハウス
芸術監督 木村真悟
舞台監督 松澤紀昭
照明監督 鹿野愼二郎
音響監督 堀江潤
写真 宮内勝
宣伝美術 村松丈彦
事務局 木村紀子 小形知巳 鈴木香 久田幸恵
コーディネイト 千徳美穂 石川樹里
翻訳・通訳 千徳美穂 鈴木なお 石川樹里 森喜久子 高杉美和 丹下一
青嶋昌子 荒川貴代 金世一 ほか
スタッフ 安井美和 澁谷祐子 髙安智実 ほか
協力 一般社団法人日本演出者協会 ほか
助成 芸術文化振興基金