劇評集

消去と自由 
副島輝人 2000年10月
 
今日のジャズは、もはやジャズではない、という声が多い。
いや、ジャズはすでに死んでしまったのだ、とさえ云われる。
確かに、強力なビートに乗ってコード・プログレッションの線上で個性的なアドリブを展開する昂揚感に満ちたモダンジャズという形式は、遠い過去のものになった。現在でも、モダンジャズを演奏するグループもあるが、何となく活気に乏しいのは、現代を生きる人々の感性から遊離しているからなのだろう。
言葉の問題にこだわるつもりはない。コンテンポラリーなジャズを、ジャズと呼ぼうが呼ぶまいが、あるいは新しく名付けた名称で云おうが、それはその人の自由勝手である。だが、今日のインプロヴァイジング・ミュージックと呼ばれる類の音楽は、ジャズ特有の即興性が大きな比重を占めていることだけは覚えておいてもらいたい。
仮に『消去法』という概念をキイにしてジャズ史をふり返ってみれば、特にフリージャズの出現は顕著な有り様だった。
1960年代、アメリカのセシル・テイラーが、日本の高柳昌行が、ヨーロッパのグローヴ・ユニティ・オーケストラが打ち出した方法・形式は、ジャズの内側からの大いなる変革であった。
それは、まずビートとメロディの消去から始まった。メロディを無くすということは、いわばストーリー性の否定であり、定速ビートの拒否とは、演奏家の肉体のリズムを発露させることだった。
ジャズの起源は、19世紀後半、当時奴隷の地位にあったアメリカ黒人たちの音楽による自己表現であったことは、よく知られている通りである。奴隷にとって最大の願望とは『自由』に他ならない。当初、アメリカ黒人の民族音楽として出発したジャズは、自由を熱望する音楽であり、表現であった。自分たちを幾重にも取り囲んでいる制約を、一つずつ消去していくこと。だからジャズ史とは、完全な自由に至る、制約消去の道程なのである。デキシーランド・ジャズからスイングジャズへ、スイングジャズからモダンジャズへ、モダンジャズからフリージャズへ、それから今日のプロヴァイジング・ジャズ、そして・・・。
与えられたものを上手にやってみせるのではなく、自分自身で何かを創り出すこと。それも即興で。
最近のストアハウスカンパニーの演劇は、台詞を消去した。言葉のやりとりで展開されるドラマの放棄である。しかしドラマトゥルギーは厳と存在する。なぜなら、台詞がなくなった分だけ、俳優の肉体の存在―それを肉体のリズムといってもいいだろう―が演劇として表出されているからだ。舞踏でもハプニングでもなく、丁度ピナ・バウシュがダンス・シアターと名乗ってもダンス芸術であるように、ストアハウスカンパニーは演劇であり続けている。振り付けと演出の概念も、根元的な処で違うと思う。
台詞をなくして、何が見えてきたのか。〈肉体〉と、それに拮抗する〈物〉の有効性と呪物性に他ならない。
この両者が馴れ合い、闘い、利用し合って、新しいドラマが成立していく。それはミュージシャンと楽器の関係にも似ている。名人達人といわれる演奏家でも、楽器を完全にコントロールすることはできない。だから音楽は表現となる。更に云えば、特に即興演奏の場合、共演するミュージシャンとの関係は、音楽の内部で緊張に満ちたドラマティックな展開を形成している。無台詞演劇の場合も、俳優同士で自者と他者の肉体が鋭く対立し、せめぎ合っているのだ。
かつて、寺山修司は台詞と台本を消去し、劇場を消去し、遂には俳優までも消去して街頭劇に拡散してみせるという、貴重な実験を行ってみせたが、やがて本来の劇場演劇に戻ってきた。晩年の土方巽は「人生そのものが即興であるのだから、私が創る舞台はきっちり構成したものをやる」と言いつつ、個人の踊りでは即興を行っていた。
要は即興と演出(構成)の兼ね合いなのである。しかし、即興を十分に演出の中に織り込むためには、俳優の肉体存在が相当な重量を持たなければならないだろう。もっと重く、もっと深く。
ともあれ、ストアハウスカンパニーは新しい前衛に向かって帆を上げた。それは何処に向かおうとする道なのか。「西北西に進路をとれ」。西北西とは、韓国ソウルの方角だ。ソウルを通過するのは、2000年11月上旬になるだろう。