劇評集

誰かが野原を歩く-STORE HOUSE COMPANY「縄」-
韓国 月刊「IN SEOUL MAGAZINE」2000年12月号より(IN STAGE)欄 
 
風が吹く。縄と縄の間を人が通り、縄と縄の間に風が吹く。まるで野原のように。荒涼とした野原を風が吹き、その中で生きている人々。熾烈である。あまりの激しさで血が飛び散っている。われわれの間にもさまざまな血が飛び散っている。
 縄。あたり一面縄だらけである。われわれを縛り付けている、または繋ぎ止めている縄。舞台の上に特別な装置があるわけではない。たださまざまな形の縄の山がそこにあるのみ。
 無秩序に散らかっている縄。そこから得体の知れない'整然'を感じずにいられない縄!縄たち!
 
<縄と縄の間の生>
 照明が明るくなるにつれ、7人の人と、舞台の上で出会える。
 じっと立っていたり、歩いたり。ただ歩く行為にもの足りなさを感じたのか、舞台の上をさらに速いスピードで歩き出す。決して走るわけではない。一列に並んで歩いていた数人が、分かれ、また再び列になる。ひたすら歩き続ける。速くなったり、突然遅くなったり。たまに立ち止まってどこかを眺める。いや、もしかしたら彼らはもう何かを見ているわけではないのかもしれない。
一人、またもう一人が一束の縄を拾い上げる。じっとそれを見つめる。再び歩き始める。歩いて歩いて突然立ち止まる人々。
縄をよりたくさん持ち上げる。再び、その反復。
 あっという間に増えつづけた縄のために彼らの腕は不自由になる。しかし彼らはその縄を置こうとはしない。逆にもっと力を入れて縄を握り締める。再びその反復。人が持っている縄を少しでも自分のものにするために闘いも辞さない。その間、一言のせりふもない。
 彼らに存在するのはただ'身体'である。互いが持っていた縄と縄の間で彼らの身体が凝固する。しかしそれは重要ではない。今彼らにとって一番重要なことは一本でも相手の縄を奪い取ることである。一人、二人、縄と人が集団から離れていく。一本の縄を自分の顔に巻きつける。そこにもう一本、さらに一本が加わる。すでに全身は縄だらけである。自ら巻きつけたものだ。絡まった縄、そして人々。物事のもつれのようにめちゃくちゃに絡まった舞台には、縄に絡まった人々が床を這いまわる。舞台には彼らの息の音だけがある。互いに絡まっているにもかかわらず、自分が目指す方向に向かって這い回るため必死である。再びその反復。
 混乱がやがて消え、立ち上がる人々。今までの道のりだけでも彼らには苦しい。しかし彼らの残酷な審問はこれでは終わらない。縄を一本ずつ持ち上げる人々。すぐ落としてはまた拾い上げる。拾い上げてはすぐ落とす。無意味な反復が繰り返される。テンポはますます速くなってゆく。
 やがて二人に人が一本の縄を頭の上に思いきり持ち上げる。長い道が彼らの頭の上に形成される。その間を行き交う人々。ある時は走り、ある時は歩く。じっと縄を見つめたり、無心でその下をくぐったり。再びその反復。ひとつの長い縄が四角形の縄になる。それは壁にもなるし、穴にもなるし、ひとつの部屋にもなり得る。再び人々はその間を行き交う。ある時は歩き、ある時は走る。飛び込むものもいれば、その下を這いまわるものもいる。縄の向こうをじっと見つめたり、その中に顔を覗かせたりするものもいる。やがてその縄の中に取り込まれる人々。
 
<縄の中の人生>
 縄の中で、初めは歩く。だんだんスピードを増してゆく。もうスピードを制御することはできない。人のスピードの影響を受け、自分のスピードも速くなる。互いが互いのために早くなっていく。もう遅れるわけにはいかない。もう誰も統制なんかできない。立ち止まることも許されない。自分が走るから人も走る。人が走るから自分も走る。時々一人、また一人縄の輪-混乱と混沌の世界-から飛び出る。それははじき出されたのかもしれないし、自ら飛び出たのかもしれない。そしてちょっとした隙間を見つけ出して、あれだけ熾烈だった縄の輪の中に入っていく。また逸脱する人々。日常に戻る人々。それは繰り返される。
再びその反復。
 ものすごい反復の中、彼らの闘いは続く。最後まで残った二人はそれぞれ自分の道を歩もうとする。彼らの戦いは熾烈きわまるものだ。結局一人が倒れ、残った一人はその縄を持ち、あてもなく走り回る。目的地はそこには無い。
 
<舞い散るほこり>
 「縄」を見ていると、ずっと誰かの'懺悔'を聞かされているような』錯覚に陥る。または自分が過去に犯した過ちを、誰かが代わりに告白しているのを聞いているような、それによって忍び寄ってくる恥ずかしさで、息でも思いきり吐いたら誰かに自分の恥部がばれそうな気さえするのだ。
 周りの様子をゆっくりうかがうような余裕など私には無い。俳優である彼らが投げ出したり、慰め合ったり、互いを縛り付けあったり、そっと離してあげたりするその縄の一本一本から目を離すことができなかった。縄一本一本にそれぞれの物語が宿っているような気がしてならなかった。舞台の上での動きはきわめてシンプルだ。とてもシンプルな動きの繰り返しだけである。
 縄が問いかけてくる数多い意味。整然と、ちぎれ、つなぎ合わせられたたくさんの縄。その縄がわれわれに語っているものはあまりにも多い。一本一本の縄がわれわれの生き方を物語る。それによって訪れる反省や悲しさ、そして人に対する愛情を感じ取ることができる。
 またその縄がぶつかり合いながら起こす数知れぬほこりさえも、われわれの人生そのものであるような錯覚に陥るのである。周りの動きによって絶えず舞い散っては動かされる、自分自身の意思とは無縁に流されていってしまうわれわれの人生のようだ。
 これらの'縄'を、ただ単に、数多くの意味を持ってわれわれの目の前に投げ出されるものと言い切るだけではとても、もの足りない。
カン・ホジュン記者
【翻訳:柳鍾局】