コレクションを考える
近頃、なぜ、「ストアハウスコレクション」なんですかと聞かれることが多い。
もちろんそれは嘘である。誰もそんなことは聞かない。
少しは聞かれてもいいようなものだと思うのだが、本当に誰も聞かない。あまりにもそのことに関して誰も何も言わないので、もしかしたら、世間に見放されてしまったのではないかと、多少は不安になってくる。
いやそんなことはない。断じてない。と一人大声を張り上げたところでどうしようもない。だから最近は、「ストアハウスコレクションは、世間にすっかり認知されてしまった結果、だれもそのことを聞く必要がなくなってしまった。」と考えている。鰻屋に行って、オタクは何で鰻料理なんですかと聞く人はいないからである。
西武池袋線江古田駅前で劇場を名乗り始めてから34年。上野に移転してからは、8年目である。江戸時代から続く鮨、天婦羅、鰻料理店とは比べようもないが、劇場としてはまあまあの歴史である。まあ老舗といってもいいわけなので、そういうことかと深く考えないことにしたところで、おそらくは誰も何も言わない。
しかし、事はそう簡単にはいかない。
ストアハウスは、鮨屋や、天婦羅屋や、鰻屋ではない。
ストアハウスは劇場である。
ましてコレクションである。
お寿司屋さんや、天婦羅屋さんや、鰻屋さんは、毎日市場へ行って、ネタを仕入れる。そのことを誰もコレクションとは言わないのである。
そう考えると、だれも何も尋ねてくれないからといって、「ストアハウスコレクション」を考えることを放棄するわけにはいかない。やはり答えなければいけない。だれにも聞かれていないからといっていいかげんに寝たふりをしているわけにはいかないのである。
さあ、どうしたもんかと寝転がりテレビをつけると、夕方のニュース番組では、鰻不漁を騒いでいる。このままでは、町から鰻屋の看板が消えてしまうことも考えなくてはいけない不漁なのだそうだ。
そのまま寝転がりながら、鰻屋さんの看板がなくなった街の風景を考えてみる。廃業を余儀なくされた鰻屋さんのことを考えてみる。
そのうち、ふと妄想が頭の中を駆け巡る。
利根川沿いの小さな町の中に、鰻博物館なる瀟洒な建物が突然出現するのである。勿論入館者が一人もいない日もあるのだが、なんとなく人が集まった日には、人々は、かつて味わった鰻の話で大いに盛り上がるのである。そして記憶の中にある鰻の蒲焼のにおいに唾を飲み込む。
「ストアハウスコレクション」も、似たようなものかな。とふと思ったのだが、果たしてこれは、答えになっているのだろうか。
ストアハウス代表 木村真悟